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Komorebi Houseおすすめ絵本や昔話の紹介ブログ。
将来の夢の絵本店の名前をブログ名にしました。 子どもにも大人にも喜んでもらえる絵本の店が理想です。 木漏れ日の下でほっと一息、ついていって下さい。 |
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泣いた赤おに
[ 児童書 ]
JUGEMテーマ:児童文学 『泣いた赤おに』は、浜田廣介の作品の中でも最も有名な作品の一つではないかと思われます。ずいぶん前のことですが、山形県の高畠町にある「浜田廣介記念館」を訪れた時に、高畠駅に大きな赤おにと青おにの像がありましたっけ。さて、この「泣いた赤おに」の物語は一般的には高い評価を受けているようですが、私自身は子供の頃、終わり方に納得ができませんでした。 「どうして、泣いたところで終わっちゃうの!!!」 と。 いろいろと、悩んだ末にこれは、作者が読んだ人たちがそれぞれのお話しの続きを作れるように、「さて、これから赤おにはどうしたでしょう?」という、課題を残して終わらせたのだと思うようにしました。私も自分流の物語の続きを作りました。その頃の私の物語では、最後に赤おには青おにを見つけ出すことになっています。 けれど、本当のところはどうなのでしょう?あの終わり方にはどんな意味があったのでしょうか?児童文学、特に低学年向けの作品ほど、原則的にハッピーエンドであってほしい、と思っている私は、今でもその答えを出せないままでいます。 追記:こんなサイトを見つけました。高畠のホームページです。
真珠の指輪
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十代の頃、将来結婚する時が来たらこれだけは、とこだわっていた物が二つあります。ひとつは、本棚で、母に「私は箪笥はいらないから大きな本棚を買ってね」と、言っていました。そしてもうひとつが真珠のエンゲージリング!
理由は『赤毛のアン』のファンの方であれば「あぁ」と思ってくれると思います。実はアンがギルバートと婚約した時に貰ったのが真珠のエンゲージリングだったのです。 いつしか婚約指輪イコール真珠という思い込みというか、こだわりが私の心の中で固まっていたのでしょう。 婚約時代、相手の男性と指輪を見に行った私たちは、お店の人に「真珠の指輪を見せてください」と頼みました。「六月生まれですか?今は誕生石よりもダイヤモンドが一般的なんですよ」とお店の人は言いました。「六月生まれではありませんが、真珠が欲しいんです」と答えると店員さんは驚いた様な呆れた様な口調で普通は婚約指輪と言えばダイヤモンドか誕生石であって、それ以外はおかしいと言い出しました。 どうして店員さんがあんなにこだわったのかは分かりません。一般的であろうとなかろうと、本人がよければいいじゃないと思い、それならば、いらないと言ったのですが…。昔の思い出ですが、今思い出しても納得できない思い出です。 今の時代はどうなのでしょう?結婚式のやり方自体も独創的になってきているのでしょうけれど、習慣的なことはあまり変わらないのでしょうか?
復刻版の 「Anne of Green Gables」
[ 「赤毛のアン」 ]
これが買ってきた原書の本です。100周年を記念して初版と同じ装丁で復刻されたそうです。
プリンス・エドワード島旅行記、後書き
[ プリンス・エドワード島:旅行前後 ]
JUGEMテーマ:海外旅行 総合 長年の夢だったプリンス・エドワード島への旅行から戻って10日余り。魂の一部は 未だにプリンス・エドワード島をさまよっているのではという思いは残っているものの、「恋の病」も少しずつ癒え、日常生活に馴染み始めたようです。考えてみれば、子どもの頃、もしくは大人になってからでも本を読んで感動し、物語のモデルになった舞台を訪れてみたいと思ったことは、他にもあります。けれども、こんなに長い間変わらぬ思いを持ち続けていたのは、プリンス・エドワード島だけです。いったい、どうしてなのでしょう?私が「赤毛のアン」の物語を特別に好きだったからでしょうか? 素晴らしい空想力と、好奇心、行動力、不屈の精神を持ち、自分や周りの人々を困らせたり、戸惑わせたりしながらも、人々を幸福にする魅力を持った個性的な少女アンは、私の憧れでもあり腹心の友でした。けれども、モンゴメリがアンをはじめとする登場人物たちを、実に個性的に活き活きと描いていただけでなく、舞台であるプリンス・エドワード島のことを愛情を込めて描写していたからだと思うのです。物語のあちこちに出てくる風景描写の素晴らしさや、アンが言ったプリンス・エドワード島に対する想いの数々の言葉!実際にこの島が実在すると知った時から、いつか自分の目で見てみたいという思いは変わらない夢となったのです。 アンが初めてプリンス・エドワード島に来たのは11歳の時です。けれどもアンはプリンス・エドワード島が故郷だと言い切っています。 以下は、物語の中のアンの言葉です。 孤児院から連れて来られ家族になれると信じているマシュウと共にグリーン・ゲイブルズに向かう馬車の中でアンの言った言葉は、 「プリンス・エドワード島は世界じゅうでいちばんきれいなところだって、いつも聞いていましたから、自分がそこに住んでいるところをよく想像していましたけれど、まさかほんとうにそうなるなんて夢にも思わなかったわ。」 (「赤毛のアン」村岡花子訳 新潮文庫より) 念願のレドモンド大学に行かれるようになった時も、キングスポートの町には世界一すばらしい自然公園があるというギルバートに対して、こう答えます。 「ここよりも美しいかしら 美しいはずがあるかしらと思うわ」 (「アンの愛情」村岡花子訳 新潮文庫より) キングスポートに向かうフェリーの中では、目をしばたたかせながら、 「あたしノヴァ・スコシヤが故郷なんでしょうね。でも、『故郷の岸辺』というのはその人がいちばん愛する土地のことよ。だからあの懐かしいプリンス・エドワード島こそあたしの故郷の岸辺だわ。あたしが初めからここに住んでいたんじゃないなんて、信じられないのよ。」 (「アンの愛情」引用同) 大学の同級生のフィリッパに初めて会い、ボーリングブローク生まれなら、ノヴァ・スコシヤ市民のわけだと言われた時は、 「いいえ、そうじゃないの。ダン・オコネルじゃなかったかしら、人は厩に生まれても馬にはならないって言ったのは?あたしは骨のずいまでプリンス・エドワード島よ」 (「アンの愛情」引用同) おそらくこうしたアンの言葉や物語の中で随所にわたって出てくる美しい島の描写が、私だけでなく多くのアンのファンたちを「いつかプリンス・エドワード島に行きたい」という想いに駆り立てるのでしょう。実際に訪れ、想像以上に美しい島だったと自分の目で確かめることができたのは、本当に幸せでした。
シャーロットタウン散策
[ プリンス・エドワード島:旅行記 ]
JUGEMテーマ:海外旅行 総合 9月11日(木):プリンス・エドワード島に丸一日いられるのも、本日が最後!翌日は、日本に帰国する日です(予定ではそうでした)。残された一日を有意義に使おうとまず、港の方に行ってみることにしました。連邦生誕記念公園(Confederation Landing Park)の方へ行けば、観光案内所もありますし、運が良ければ当日参加できる短時間のツアーで、サマーサイド方面に行けるものがあるかもしれないと、淡い期待が浮かんできたのです。 ところが、かなりの方向音痴の私はどこで間違えたのか、どうも違う方向に歩いているらしい事にしばらくしてから気が付きました。最初のうちは、かわいい家並みに目を奪われ、通りの名前など全く気にしていなかったのです。さて、ここはどの辺りだろうと地図を見ても、ストリート名にそれらしい名前がありません。なんとB&Bを出てから、正反対の方角に歩いていたようです。あわてて回れ右をすればよかったのですが、せっかくここまで来たのだから別のルートで廻ろうと思ったら、ますます迷ってしまいました。けれども、前方に海が見えてきたため、喜び勇んで歩いて行くと、ビクトリア公園側の海に出てしまいました。観光案内所のある方面とは全く違います。 まあ、いいか!海には着いたことですし、ここもこんなに綺麗だし、昨日さんざんいろんな所を廻ったのだから…と、サマーサイドのことはすっかり諦め、シャーロットタウン散策を楽しむことにしました。それにその日の夕食は「赤毛のアン出版100周年記念特別ディナー」!物語の中に出てくる食事を再現したもので、ボリュームもたっぷりとのこと。しっかり歩いてお腹を空かせておかなくては!こちらでは食事の量が多く、昨日夕食を食べ損ねてもさほど苦痛でなかったのは、お昼をたっぷりと食べていたからです。メインのロブスターは大きかったですし、付け合わせだけで充分にお腹が一杯になりそうな大きなジャガイモ、それにガイドをしてくれたJさんが味見にとくれた、ホタテのフライまで食べていたのですもの。 海岸通りを歩いていると、散歩をしている方たちが「こんにちは」「いいお天気ですね」などと、笑顔で声をかけてくれます。日本では知らない人に挨拶するなんて思いもよらないのに、三日も滞在していると、いつの間にかこちらから「こんにちは」なんて言っている自分にちょっとびっくり。 さて、シャーロットタウンのダウンタウンは歩いて廻れる距離なので少しくらい迷っても大丈夫と、最初の予定だった記念公園の方に向って歩き始めました。海沿いの遊歩道はのんびりとした散策にはぴったりです。観光案内所に着くと、シャーロットタウンを馬車で廻る一時間のツアーが15分後に出発することが分かり参加することにしました。アンの時代の移動に欠かせなかった馬車に是非、乗ってみたいと思っていたからです。車と同じ道路を歩かなければならない現代の馬たちには気の毒ですけれど。 馬車で廻った一時間はあっという間でしたが、いろんな所を廻ってくれたために町全体の様子が何となくつかめました。ただ…、ユーモアたっぷりに案内してくれたガイドの女性の解説をもう少し理解できたら、もっと楽しかっただろうにと残念です。舗装された道と、アンの時代とでは乗り心地はもちろん違うでしょうけれど、とても貴重な体験でした。 馬車のツアーの後でもう一度、先ほど廻った場所で行ってみたい所に歩いて行き、街中を散策したり、コンフェデレーションセンターのアート・ギャラリーでモンゴメリ展を観たり、お土産物屋さんを廻ったりしているうちにいつの間にか夕方です。欲張って遠出しなくてよかったと、その時になって思いました。 その後、服を着替えて、楽しみにしていた「アン・ディナー」に。程よくお腹も空き、今夜はアンの気持ちになって、美味しく食事を楽しみましょう♪物語を読む度に想像していた美味しそうなお料理の数々!プリンス・エドワード島最後の夜にふさわしい、思い出のディナーに幸せ一杯♪お腹も一杯になりました。
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